太陽に出会った話
世界に太陽は一つ。
そうやって教わってきたし、そう思ってる。
この世を、万物を照らす太陽は、
ただ一つであるべきだった。
それは、わたしのなかでは相葉雅紀だった。
相葉雅紀が歌って踊る世界は、
半永久的に、続くと思っていた。
太陽は少しずつ、時を経て
光を弱めようとしていた。
休む決断をした。
太陽は太陽でいるために、
嵐は嵐でいるために、散々悩んで話し合って。
頭ではわかってるけど、
どうしても受け入れられてない。
未だに。
そんな、こわい2020年を迎えてすぐのことだった。
「これは経費で落ちません」
噂には聞いていた。
山田太陽。
わたしはドラマが好きだ。
好きなドラマは、1日に全話見返すし、何十年も引きずる。
だから、わたしが好きじゃないわけなかった。
明るい話に、考えさせられる人間模様。
明るい笑顔。
単純に好きだ。この人の笑顔。
でもきっと、役が好き。
そうでありたい、だってきっと
この先は進んじゃいけない。
全10話を2週した時点で、結果山田太陽の中の人のことを考えていた。
わたしは、彼を知っている。
赤い人。
ええじゃないかの人。
ごめんね、青春の海老沢くん。
だめだ、と感覚的に思った。
このタイミングで彼に出会ってしまったのはだめだ。
2020/1/8、わたしは"溺れるナイフ"をみた。
2020/1/16、わたしは"宇宙を駆けるよだか"をみた。
だって、嵐のためにNetflixを登録したから。
多分だけど、同じ流れの人、いるんじゃないかな。
そこから、今出てる全てのコンサート映像を買った。
役が好き、演技をしている、俳優、重岡大毅が好き、だわ。自分。
そうやって言い聞かせていた心のストッパーが、コンサート中の彼の一挙一動によって、いとも簡単に壊されていく。
気持ちいいくらい、呆気なく
わたしは重岡大毅を好きになっていた。
劇的な出会いから1ヶ月過ぎても尚、
毎日のように与えられる新しい情報。
アルバムを引っさげてのツアーという
懐かしい響きに涙が出そうになる。
悲しいくらいに心が移ろう自分に、
嫌気がさしてきて。
いっそ、新しい気持ちで、吹っ切ってみるか、なんて、
色んな担降りブログを読んできたけど、
わたしは相葉雅紀から降りるつもりはさらさらない。ってことが分かっただけだった。
降りたくないファンがいて、
続けたいアイドルがいるのに。
続けていくための、一番大事なものが、
無くなってしまう。
こんな辛いことあるのかな。
ぐちぐち考えるわたしに、
重岡大毅はこんな言葉をくれた。
「どうしようも無いくらい どうしようの繰り返し」
「誰が明日を知ってるんだ 誰にも解らないから」
間違っちゃいない、と感情をむき出しに歌う彼をみて、
太陽、2つあってもいいかな?って。
太陽って何個あってもいいよね?間違っちゃいないもんね、だって今冬だしさ、せめて3個くらいほしいよね日差しってほーんとにあったかくて幸せな気持ちになれるよね。ほんと太陽っていいわ、間違っちゃいないっていうか、なんで山田太陽あんなに可愛いんだ???どうしてリアルタイムであのドラマ見てなかったんだ?山田太陽って刺青入れたい、ほら足首とかにさローマ字でTaiyo Yamadaってさ、どう、オシャレじゃん!間違っちゃいないよね!
彼がどんな気持ち詩を書いて、「間違っちゃいない」と歌ったのか、それを考えるのもアイドルのファンとして正しい在り方だけど、
単純に曲を聞いて、そのまま。
あ、自分のしてきたこと、考え方。
間違っちゃいないって思っていいんだって、思わせてくれる、それもアイドルの在るべき姿だよねって。
彼らから、わたしは絶対に見えないけど、わたしは彼らをみている。
この絶対な一方通行の矢印が、楽しくて悲しくて苦しくて幸せで。
そうやって、アイドルを応援することの楽しさを改めて教えてくれた。
別々に、わたしの太陽。
それでいいじゃない。
吐き出すところがほしくて、
そういえば、昔書いたの残ってたはず!と思って来たこのブログの中には
三年前の自分がいて。
ありのまま、今を愛を紡ぐことをしたいと思って書いた。
これから、どんな世界が待ってるか解らないけど、きっとあなたとなら、、、
と思っています。
よろしくね。