同じ夢を見よう

ただ愛を紡ぐだけ

ワンドのキング〜証拠発売によせて〜

 

注意:この先の文章では敬称略で人名を書いています。

 

また、16000字超えの超大作なので、お時間あるときにどうぞ!

 

ジャニーズアイドルにはいろんな形態がある。

平野紫耀にはとにかく華がある。彼の容姿、一挙一動に大勢の人の目が奪われる。
櫻井翔には言葉という武器がある。彼のペンが指す方向には間違うことのない正しさがある。
丸山隆平には魔力がある。人を楽しませることは真実も虚偽も関係ないと教えてくれた。
佐藤勝利には圧倒的な空気がある。名前、経歴全てが圧倒的。誰も寄せ付けない崇高さがある。
相葉雅紀には訴求力がある。人が普遍的にもつ感情を自分の身を媒介にして可視化することができる。

 

他のジャニーズ事務所所属のアイドル、いやこの世にアイドルとして活動している人それぞれには数え切れないほどの形態が存在している。

 

私が今現在気になって仕方ないアイドルが一人いる。
重岡大毅だ。

 

彼の持っている性質は多い。
ここから四章に分けて彼のことを主観たっぷりに考察していく。

 

第一に彼は顔がいい。

 

これはあまりに主観的で議論することではないテーマであるためここでは多く語らないが、わたしは本当にあの顔立ちがすごく好きだ。

 

第二に彼には真ん中に立てる場所がある。

 

濵田崇裕が某ラジオで重岡大毅のことを「気づいたら真ん中で歌ってて『誰やこの子!』ってなった。」と発言されていたことからも、自ら志願したわけでなくきっとジャニーさんの一存で彼は自然と当時の関西ジャニーズJrのセンターを張る場面が多くなっていったと推測できる。

 

King & Princeに関して私は知識が希薄であるが、彼らはジャニーさんに直訴してデビューさせてもらったんだという話を聞いたことがあるので、要するにジャニーさんが決めたセンターの歴史では2011年佐藤勝利の次に、さらに最後に指名したのが2014年の重岡大毅であるという仮説を立てることができる。

ジャニーズWESTは7人体制であるが、2013年ジャニーズカウントダウンコンサートの生放送中に紙を持って『ジャニーズWEST4』としてデビューすることが発表された。当時私自身は嵐と関ジャニの掛け持ちだったがそれでもかなりの衝撃であった。こんなデビュー発表の仕方もあるのかと。
つまり先ほど立てたジャニーさんが最後にセンターを指名したという仮説は一旦ここで棄却される。


なぜなら4人ではセンターという概念が生まれ得ないからである。

 

ここで考えたいのはなぜジャニーさんは重岡大毅をセンターに置かなかったのか。
ジャニーさんは多くを語らぬままこの世を去ってしまったため、そしてジャニーさん本人にもきっと明確な答えというものは存在し得ない可能性も高いため、無責任に考察する権利は個々にあると思う。

ここからはというより今までもだが私の主観で全て書かれた文章だとご理解いただけた上で読み進めてもらいたいのだが、なぜ重岡大毅をセンターに配置しなかったのかを考えるためにはまず、なぜジャニーさんがたくさんいた関西ジャニーズJrの中から4人を選び、デビューさせようとしたのかを考える必要があるだろう。

 

 

当時のジャニーズの勢力図としてはまず嵐が売れていた。5人組の成功はSMAPに続き、快挙を次々と達成していた。理由としてシンプルに書き記すのであれば、明確なセンターのないV字の配置や高圧的でない新しいリーダー像が時代にフィットしていたとでもいくらでも書ける。
そして後に続いたのは関ジャニだろう。嵐と同世代を生き、関東と関西という二極性を鮮やかに演出し、確実にファンを獲得していった。関ジャニと同じく7人組のKis-My-Ft2も長年のJrの経験を生かし、根強いファンとの関係性をさらに強固なものにしつつ新たなファン層もキスマイブサイクなどの冠番組にて獲得していた記憶がある。新たなデビュー組だとSexyZoneは嵐に続く5人組としてフレッシュさや顔面偏差値の高さなどが話題に登っていた頃だろう。

 

長々と書いたがここで私が声を大にして言いたいのは、4人という人数についてだ。先述した通り、関ジャニがさらに売れ始めたきっかけの一つに錦戸亮の存在があるだろう。長年ジャニーズとしては異例の2グループ掛け持ちという体制を8年やり遂げ、関ジャニの活動に専念したのは2011年である。そこから4人体制となったNEWSは独自のカラーを強く出し、五大ドームや野外ライブをいくつも成功させてきた。また時を少し進めると2013年にはKAT-TUNも4人での活動をスタートさせている。

 

 

ここまでをまとめると、5人組、7人組、(SexyZoneは少しの間三人体制の時もあった)そして多くメンバーがいたが最終的に4人組になったグループなどが当時存在していたことがわかる。

 

私がジャニーさんであったらという超理論を適応すると確かに次にデビューさせるのであれば4人組もいいなあと思うのも納得がいく。さらに関西発のグループであることが決まっているとするならば、なおさらのことであろう。七人組や五人組ではもう見慣れてしまったパッケージになる。人数を増やすならHey!Say!JUMPのようになるがそうなると世間の認知に遅れが発生する。名前の覚えが究極的に悪い私はいまだにメンバーの名前がわからなくなる時がある。同じようにJO1のメンバーも覚えられない。ちなみに2013年の松竹座クリスマスコンサートのポスターに写真が掲載されているメンバーは総勢15人である。

 

関西から新しくデビューさせようとジャニーさんが決めたのは何年くらいからなのか。詳しいことは知識不足でわからない。しかし、一度はジャニーさんも現ジャニーズWESTのメンバーでデビューさせることを決めていたに違いないことは、当時のファンの方のブログなどを読むとわかることではある。いつデビューできるかわからない当時の気持ちは重岡大毅本人がCanCam2020年4月号においても『俺もデビューできない時期のつらさを知っているけど…(中略)未だにデビューのことを思い出すと、たまに怖くなったりもしますよ。』と語られている。

 

当時どのように松竹座の舞台の立ち位置が決められていたかについて私の目で真実を知ることはもうできないが、きっと彼は前の方で。なんならセンターで笑顔で歌を歌い踊っていたに違いないと思う。それでも彼は発言の通りデビューできるかどうかといった今後の不安を背負っていたのだ。

 

そして。CDデビューが決まるもそれは彼が望んだ形ではなかった。一度は4人で決まったデビューを覆したのは重岡大毅の力が大きいということは色んなことでも言われてきたことである。

 

手元に2015年明星、重岡大毅一万字インタビューがある。きっとこの取材でようやく彼は彼自身の気持ちを語ったのだと思う。

 

登場人物の一人が自分の夢を叶えるために、一度掴んだものに対して反抗するというのは様々な小説、漫画、映画でも取り上げられるテーマの一つであるだろう。余談だが、私の好きな小説の一つに森絵都のDIVE!!というものがある。そこでも一度オリンピック出場の夢を掴んだ選手が自らの手でそれを白紙にし一から出場枠を賭けて再度試合を開催することを提案するシーンがある。

 

「実体のない雪が降ってる。触れても溶けないし、冷たくもない。みんなでそれを転がしてる」

 

そう感じていた登場人物は自ら行動を起こしたことで、『実体のある雪』を降らせることができたのだ。

 


重岡くんもそう感じていたのではないだろうか。

 


掴んだデビューそれは自分自身の希望や夢とはズレたものであった。しかし、事務所の意向や様々な大人たちの考えに戦える自信も無かった。

 

『仕事だってグループとして受けたら、4人なら4分の1、7人なら7分の1になるって話もされました……。そうかもしれない。でも、その考えは、僕は絶対受け入れられなくて。7人じゃなきゃダメだって。』

 

彼の一万字インタビューに度々出てくる言葉がある。それは『ブレたくない』という言葉だ。ジャニーズ事務所に入る前は流されて生きていた、そしてその生き方は自らの汚点であるとまで話す彼の根幹には絶対に曲げたくない意志が必ず存在する。

 

私が彼を応援したい、好きだと認識したのは2020年の1月のことだが、その意志の強さはこの数ヶ月の間にも度々感じたことがある。自分をブレずにもつこと、それが彼の一番の軸なのではないかと思う。

 

ブレない彼は見えない敵と戦った。なりふり構わず突き通した結果が今のジャニーズWESTである。彼のファンとして決して、今の7人があるのは重岡大毅の功績だ、彼がすごいんだ。と声高らかにいう気はない。彼はこの一連の話を美談にしたくないと語る。私がここで思ったことは、彼はセンターに指名されたのではない。彼が彼を。重岡大毅重岡大毅をセンターに指名したのだ。

 

これはとても概念的な話ではあるが、別に彼が好き好んで自分がセンターを張りたくてそう行動したのだということを言いたいのではない。(そのような考えも全くないとは言い切れないが)そうではなく、彼は彼の夢を叶えるために、必要で大好きなメンバーのために最適解を出したのだ。そこにさらにもう一つ難解な考え方を挟むことができる。というのは、自分がセンターに配置されることが最適解であるような運命を彼が引き寄せたという方が正しいからだ。


運命を引き寄せること、ある世界の真ん中に立つことは精神を消耗すると私は考える。これは迷信の一つであるが、『写真に写るとき真ん中に立つ人は早死にする』というものがある。日本に写真が伝わった幕末の頃、『写真は人間の魂を抜き取る道具だ』と人々から恐れられており、中でも一番ピントの合う真ん中に立つ人の魂が写真によって抜き取られやすいと考えられていた。それだけでなく、ジャニーズWESTには明確なリーダーというものが存在していない。よってグループの代表者はセンターが担うことが多くなる。

 

 

彼の一万字インタビューの最後の方にはこう記述されている。『ぶっちゃけ、俺よりセンターに適任な人が出てきたら、そいつが立ったらいいと思ってて。(中略)過去なんてどうでもよくて、こうやって7人でいるのが当たり前になっている今が、7人で夢に向かって走っている今が、やっぱ一番幸せなんだなって思うんです。』

 

いろんなことを書いてきたが、ただ事実として現在、ジャニーズWESTのセンターは重岡大毅であることは紛れもない事実として存在している。

 

わたしから見ると、ジャニーズWESTのメンバーが自然にセンターの位置を開けて、さも当然かのように重岡大毅をそこに配置しているイメージがある。

 

そんな関係性が少しでも長く続きますように、と私は願っている。

 


 


第三に彼は演技ができる。

 

何を隠そう私が重岡大毅を応援しよう、好きだ。と強く認識したのは、2020年初春。『これは経費で落ちません』の再放送をみてからだ。正真正銘、演技落ち。彼の演技、表情に強く胸打たれた。以前から、ジャニーズWESTのことは知っていたし、なんなら重岡大毅がJr時代のジャニショの写真(Anotherのオフショット?ピンクのグラデーションのシャツの写真)もなぜか何枚かもともと自宅にあったぐらい元々潜在的重岡大毅のことは気にかけていたのだが。時は流れてあっさりと山田太陽にハマっていった。そのことは別のブログにも記したので良かったら見ていってほしい。

 


彼の演技は自然だ。私は演技のことをあまり詳しく知らないので上手い下手、という価値基準でなくて、見ていてあれ?なんだそれ。って気にならない演技であればそれでいいと考えている。彼はアイドルの自分や本来の自分を一旦何処かへ保管しながら、そのドラマの中で生きることができる人である。

 

知り合いに自分の好きなアイドルが相葉雅紀だと説明するときにはあまり言葉を考えることなく、なんとなく「相葉ちゃんね!」と通じる。が。重岡大毅が好きというと、まだ「ヒルナンデスに出てる人?」とか「なんかのドラマで見たことあるけどなんだったっけ」というような返答が見られる気がする。(完全な私調べ)顔も名前も見たことはあるけど、きちんと人柄まで認知されてはいないというのが現状かと思う。でもそれは決して悪いことでなくむしろとても好都合であると私は考えている。

 

なぜか。それは、私が重岡大毅を強く認識し、追うようになってすぐ放送されたドラマ。『知らなくていいこと』にて説明ができる。

 

野中春樹。様々な愚行を働いた憎き男である。先ほどの重岡大毅をあまり知らない知り合いたちに「こないだの冬ドラマで吉高ちゃんの彼氏役してたんだけど…日テレで」と話すと「あ!!野中か!」という会話が成立した。これにはとても驚いた。なぜならその会話の場においては重岡大毅本人の認知度を野中春樹という役柄が上回ったということになる。よく話を聞くと、ドラマをしっかり見ていた人もいれば、ドラマは1分たりとも見ていないが、ツイッターなどで話題になっていたのを知り、そのムーブメントには乗っていたという人もいた。(例 尾高沼などのトレンド入り)

 

ここで注目したいのは、その話をしている時の知り合いたちの表情だ。野中=重岡大毅と気づいた瞬間、あ!というか、え!というようななんとも言えない顔をしたのだ。確かに野中春樹は視聴者にクズでゲスな闇落ちしたヤツというイメージを与えた役ではあるが、それはアイドルの重岡大毅とは全く異なるコンテンツである。

 

宣伝で出演した番組内でも青木アナが「しげちゃんはめちゃめちゃいい人!野中は役だからしげちゃん自身の好感度は下がらないで!」というような趣旨のコメントをしていたような記憶がある。(ハマりたてで録画をしていなかったことを後悔している。吉高ちゃんにイケメン枠は尾高さんに譲ろうね、と言われた時の表情が可愛すぎたことも記憶している)

 

 

要するに演じる役柄によって与える印象を柔軟に変えることのできる人、ということが証明されるのだ。

 

太陽くん、火賀くん、大友くん。この三役は三大胸キュン枠で勢力図にするとカオスになることが予測されるくらいにファンの中でも人気のある役柄であるが、(海老沢ゆずるはちょっと毛色が異なるのでここでは除外する)三役どれも同じかと聞かれれば。NO!と思いっきり首を横に振ることが出来るだろう。

 

ここでこの三役について書くと本当に論文になってしまうので中略するが、国民的当て馬という言葉がこんなにハマる人は他にいるのかというくらい切ない恋をする役が多い。

 

太陽くん、結ばれてよかったね。

 

この三役から重岡大毅にハマった人間は、他のハマり方をした人より彼をみるときゅんきゅんしやすいのでは?と私は思うがどうだろう。なんせ私は緊急事態宣言中に撮られたであろう様々な映像、特にオーソレの前髪重ため重岡大毅のポヤポヤ具合がたまらなく可愛いがどうだろう。

 

また、彼は役を一度飲み込んで世界に入り込んで演技する人である。決して憑依的に演技するのではなく、とにかく役を自分に染み込ませていくタイプの俳優であると認識している。

 

文献が乏しくて申し訳ないが2020年、3月W Trouble発売のタイミングで出たTVガイドにて「この子ドラマの現場でボケれてないねんなっていうのがすごく分かった」という神山智洋のコメントがある。野中はボケるような役どころでは無いし、少しあのイーストの編集室から浮いた雰囲気を出すことも大事であるため、彼が現場でまさか中間淳太にするような絡み方を他の出演者にしているとは思わない。想像すら出来ない。しかし、前述のバゲット内では関水さんから「いつも面白いことを言ってくれる」などというコメントがあった。これだけでも彼の奥深さが立証できる。

 

神山智洋からするとボケられてない重岡大毅=関水さんや佐々木蔵之介さんからするとムードメーカーな重岡大毅。彼は一体何役をこなすんだ。

 

 

あと彼の演技に関して言いたいのは、大塚くんと高関くんだ。大塚くんが殉職するシーンは、もうメチャメチャのベチャベチャに泣いた。いい子なのに、マッシュルーム刑事なのにどうして!なんで!ひどい。前者は自身が死ぬ役で、後者は相手が死ぬ役である。彼は人の、役の感情をテレビの向こう側にその熱量のまま届けることのできる俳優だと感じている。高関の最後の一人芝居に関しては、実は私が重岡大毅に『経費で落ちた』前にリアルタイムで視聴していた。この人、あっつい感情を持った人なんだなというものを感覚として持ったような気がする。

 

私は何度でも言うが、彼の演技で彼の魅力に吸い込まれていった人間なので今後も幅の広い、たくさんの役を演じてもらいたいと願う。中村倫也もかなり好きな俳優の一人なのだが、彼のように主演だけでなくバイプレイヤーとしても、作品に出演できる俳優になってもらいたい。さらに高度な当て馬役なんかも重岡大毅には演じてもらいたいし、言っていることが矛盾している気もするが、彼の印象をバチっと決めるような主演の代表作も欲しいと、強欲に思っている。強いて言えば、ドヨルの妄想族、最終回の相手を笑わせながら殺していくような殺人鬼や異常者の役も演じて欲しい。

 

彼にはまだ無数の道がある。

 


 


最後、第四に彼には曲を作ることができる。

 

作詞をするアイドルは多くいる。が、作曲までできる人となると人数は減ってくるのではないか。私の知る限りでは、二宮和也安田章大錦戸亮渋谷すばる等は数々の名曲を作り上げてきた人である。

 

重岡くんがどのように音楽と向き合い、作曲に着手するようになったか。詳しいことは私は過去にタイムスリップ出来ないので知る由もないが、今手元に三冊のパンフレットがある。2018 Westival、2019 WESTV!、2020 W trouble、この三冊のテキストを中心に彼の作詞、作曲について考察していきたい。

 

 

まず、『乗り越しラブストーリー』という曲がある。この曲は重岡大毅作詞、YHANAEL作曲とされている。このYHANAELさんはWikiすると、日本の女性音楽家でボイメンやイコラブ、K-POPのアイドルグループにも多数楽曲提供しており、ジャニーズWESTにおいても『Ya! Hot! Hot!』『100% I Love You』を作詞した方である。

 

ここでは彼が作った歌詞について一行ずつ考察はしないが、とにかくあったかく切ない、恋にまつわるフレーズが多く登場する曲だ。

Westivalパンフ内で照史が「ホンマは1番と2番で2人で書き分けようって話やったけど、(中略)『全編、しげが書いたらどうかな』っていうオレの提案を受け入れてくれてん」と話している。桐山照史なら乗り越さずにすぐ電車を降りて彼女の元へ追いかけていきそうだななんて思ってしまうが、この乗り越し以降の曲についても照史は重岡大毅のワードセンスが面白い、好きだと真っ直ぐ様々な媒体で話してくれている。

 

当時のツアーのレポなどを読んでいくと公演ごとに間奏アレンジを変えたり、小さな手のひらでするグリッサンドに会場が沸いたりという言葉を見かけた。このころから作り込む音楽というよりかは生で、ライブ感たっぷりな演奏の楽しさに気づき、より自分で曲を作ることに対しての熱量が増えていったのではないか。

 

ピアノも二十歳から始めてこの曲で初お披露目だったというのも、彼のアイドル精神が垣間見えて好きなエピソードの一つである。

 


さて。続いて『間違っちゃいない』について話していきたい。ちなみに私は重岡大毅モンペ代表を自負しており、彼にとっての辛いこと、悲しいことは私の身を以てこの世から排除したいくらいの気持ちでいることを念頭においていて欲しい。ので、まだこの文章を書いている現時点でWESTV!のパンフレットの重岡大毅のページを読めていません。なぜこの曲が誕生したのかが書いてあると伺ってはいるものの今の今まで読む勇気が出なかった。でも先日、bayじゃないかにて濱田崇裕様がフルでこの曲をギターで弾き語ったこともあり、気持ちがアツアツなので今から読んできます。

 

 

読みました。

だらだら書きます。

 

アイドルとして表舞台に立つ彼とは別の彼がこの世には存在していて、その様な存在はきっと無数に生きているとして。(本人も七色シゲちゃんとたまにボケるけどアレも実際いい表現だなとすごく思う)

 

彼に限らずだが、その一部分。アンパンマンで言うところのひとかけらの顔を見せてくれていてそれが仕事となりこちら消費者側がその対価として金銭を送るというビジネスモデルで生きる彼らにとってメンバーといる時間、オフショットカメラが回っていない時というのは人によって見せ方が異なる。

 

丸山隆平は、メイキングをメイクしているという名言が誕生するほど、メイキングの王である。彼はメイキング映像において様々な活躍をしている。

 

嵐はあるときから円盤にメイキングを付けなくなった。これは売り方の問題でもあるが、単純にリハの時間がすごくタイトでメイキングカメラを回す余裕さえなかったのではないかと認識している。あゆはぴのメイキングやUntitleの嵐会などはとてもゆったりしていて嵐としてメンバーの関係性が一つ上の段階へいったことを示唆しているような映像であった。もう少し嵐についてここで触れると、2014年ハワイ公演収録の円盤にて櫻井翔が「仲良しで売りたくなかった」というような趣旨の発言をしていて当時の私は衝撃を受けた。嵐はずっと仲がいいものだと思っているし、永遠にストッキングを被りあい、乳首あきTシャツを着る人々であると思っていたので(そんな永遠はまずない)櫻井翔の流石のマーケティング戦略に驚かされた。良くも悪くもメンバー内で距離を取ることで、衝突のない職場の人間関係としてベストな関係を築けたのではないか。そうでもなきゃ20年も同じメンバーで人事異動もなく仕事できるはずもない。精神的ソーシャルディスタンスの先駆者だと思う。

 


また長く前置きしたが、重岡大毅の場合はどうだろう。メイキングに収録されている数々の奇行は彼本来のものであるのか。はたまたキャラとして演じているものなのか、それともキャラとして演じすぎてそのキャラが本来の自己と一体化した相葉雅紀パターンなのか。どれもありえそうなのが彼のまた奥深い魅力であると思う。

 

W troubleパンフ内で淳太くんが、Q.グループで一番「ヤバいやつは?」に対し、「しげ。(中略)自分でも衝動が抑えきれないらしくて、突発的になんかやりだすのがヤバい(笑)」と答えている。中々にヤバいことをされてきている淳太くんだが、それでもこの問いに対して(笑)をつけて話しているところに彼の中にある重岡大毅受容体の存在を感じられる。

 

 

心理カウンセリング的にも受容(acceptance)は重要な概念でありこれが正しく他者との間で行われると受容された人は手ごたえ得ることができ、安心することができる。これと近しいものに許容(permission)というものがある。許容というのは相手の行動、判断などをそのまま許し認めることであるが一定の限界があるとされており、この点で受容と異なる。

 

重岡大毅と心理学についてはまた無限に書けるテーマであるためここではこの辺りで止めておくが、ともかく彼にとってメンバーといる時間は演じてるにしろ素であるにしてもとっても大切な、最重要要素であることに間違いはないはず。前述したように、彼は自分を含め、7人でいることに対し熱いこだわりがある。

 

だからこそ。

 

だからこそ、こんなことはあってはならないのである。でもそんなことが毎日起こるのが人生である。

 


『1対6の構図』そう彼がパンフレットに書くほどに当時の彼は追い詰められていたのだ。文字というものは便利な記憶保存装置であるが、便利すぎるが故にその真意にたどり着くことは出来かねる。濵田崇裕が、自身のギターとピアノでやりたいとそうスタッフから聞いたとき。きっと彼はすごく嬉しかっただろう。自分の曲が認められ、また必要とされる喜びは私には感じることのできないものではあるが、想像はできる。

 

WESTV!の発売は2018年12月5日であるため、パンフレットを読む限りだとその年の夏頃から2人での曲の製作に取り掛かっていることとなる。このころは宇宙を駆けるよだかが世に放たれた時であり(!)そのリアルタイムで重岡大毅がどんな日々を過ごしていた時期かは知りえないが、きっと9月頃にアルバムの打ち合わせでその構図へとなってしまったのではないかと推測される。

 

ここからは書くべきではないし、あまりに自分の主観だが一つの妄想ストーリーとしてやっぱり書き残しておきたいので書く。

 


濵田崇裕さんからしてこの状況はどう見えていたのか。

 

濵田さんのインタビューでは「しげがギリギリまで悩んだ」という言葉が二度登場する。これだけは言わせてほしい。彼を悩ませたのはそもそもあなたでは?あなたがメンバーみんながいる中でしげと2人で曲がやりたいとしっかり言っていれば少なくとも1対6の構図にはならなかったのではないか。そもそも濵田さんとの話だったはずなのになぜ2対5でなく1対6なんだ。

 

誰が言い出したのかは解明されてないだろうし、犯人探しをする学校の終わりの会でもないのだから気にすることではないのかもしれないが、私の本音ではそこまで知りたくなってしまう。

 

重岡大毅本人も『みんなに』という話し方をしているのでこのまま続ける。皆に『乗り越しラブストーリー』とかぶるからと言われ、しげちゃんの意見が棄却されたその瞬間。濵田さんはどのように思ったのか。しげちゃんが作った2人での曲はメンバー誰も聞くことなく眠っているのか。その曲を濵田崇裕が聞いていたらこうはなってなかったのか。

 

私の独断と偏見マシマシの妄想ストーリーだと、曲の大枠ができていたにも関わらず「濵田とユニット曲がやりたい」と提案した、その時点でメンバーから意見を棄却されたニュアンスが見られるため、一度作った曲を皆に聞かせることなくカバンに詰めたのだろうとその情景が思い浮かんだ。

 


『予定詰まった カバン捨てて帰ろかな 眩しい近所の夜空』


この歌詞は、日常を生きる人類に当てはまる最強ワードだと考える。

 

小学生ならランドセルに連絡帳が入っていてそこには翌日の”じかんわり”が書かれてあるし、大学生ならレポートや論文を書くための重たい専門書がカバンに入っていて、働く人のカバンには物理的に重たくなる電子機器や書類、また精神的に重たくなる人間関係やスケジュールの詰まったスマホ、手帳が入っているだろうし、子育てしてる人ならおむつや離乳食セット哺乳瓶など子供に必要なものがたくさんカバンに詰まっているだろう。

 

生きとし生けるもの皆、カバンには今これからの予定が詰まっている。それを捨てて帰りたい日は何度でもある。自由を願い、しがらみから解放されたくてたまらなくなる。そう思いながらもこの歌詞では思っているところで踏みとどまれている。

 

『眩しい近所の夜空』というのは私の想像だと、出先から帰ってきて近所まで来て家まであとちょっとなんだけど体力的にも精神的にもしんどくなって、そんな概念的に重たい気持ち(=カバン)を捨てたくなってる。ガードレールでも階段でもなんでも腰掛けられるところに腰掛けて、カバンを一回地面に置いて、パッと上を向くと街灯が自分を煌々と照らす。そんな日常の一コマが浮かんでくる。

 

 

きっと作詞者の彼もそうだったのではないか。

 

 

自信のあったものを、聞かせることもできず、家までのいつもの帰り道。ムキになってる自分も、また皆に言われた言葉では自分の考えを変えられないそんな頑固な自分も嫌で。そういえばこういうこと前にもあったな、あん時も自分1人だけ違う意見だったな。

 

人間は、嫌なことを考えると数珠繋ぎでどんどんあふれ出るように止まらなくなってそれでまあいいか寝よう、忘れようと思える人はいいが、思えなくて自分を追い込んでしまう人は一定数いると思う。自分がダメなんだ、皆と違う考えを持ってしまうことが悪なんだ。


『涙 一粒 星降る夜に 光れない 馴染めない なぜ同じ様に生きれないの』

 

そう思うと、なんて苦しい歌詞なんだ。。。

 


あんなに光り輝く笑顔を星の輝きの様に振りまく彼ですら。『光れない』と歌詞を書き、歌うのか。

 

歌詞は歌詞につながって続いていく。

 

『泣きたくて泣けなくて』は『涙 一粒』という表現へつながるし、『さよなら上の空』は『眩しい近所の夜空』へ別れを告げられていることの描写であろう。

 

二番では場面が一晩明けた朝となっていることがわかる。

 

『ないものねだり タラレバを振り払う 朝の占い 横目で順位気にしてさ 理想と現実で結ぶ靴ひも 歩けるかな 教えて近所の青空』

 

ああしていタラ、こう出来ていレバ。そんなタラレバを頭を振りながら忘れようと努力し、占いなんて信じちゃいないけどちょっと気にしつつ、靴ひもを結ぶ。さっき忘れようとしたことはこんな些細な動作の途中にも邪魔をしてきて、右のひもが理想なら左は現実で、そんな日に限って上手く蝶々結び出来なかったりして。今日はどんな日になるのかな。そう昨日見た夜空と同じ空に問うている。

 

昼間には、ちょっと元気出てきて。というよりかは仕事に追われそんな悩みも一度は薄れ。でもお昼休憩とかふとした時にまた邪魔してきて。でも気分は少しだけいいから、『まあまあカッコいいんじゃない』なんて今まで肯定できたりして。でも帰り道。また昨日と同じ道。やっぱり『泣きたくて泣けなくて』この日は残業がなかったり、部活がなかったりで早帰りなのかな?夕日に照らされながら歩いて。

 

『”お疲れ”と夕日が ほら 君は君で君なんだ 間違ってもいい 間違ってもいいんだ』

 

 

この曲には明確な登場人物は出てこない。『空』というのも大きな登場概念ではあるが、心理描写が主となっている曲だ。だからこそ、タイトルにもなっている『間違っちゃいない』はこの『1人の人の心』がそれ自身に向かって常に呼びかけている。初めは少し不安の残るニュアンスで『間違っちゃいないよな』と唱えている。2サビの最後ではそれが変化し、『間違ってもいい』となり、最後のサビでは『間違っていないんだ』コーダでは『間違っちゃいないよな』で歌詞的には初めに戻るがこちらはどちらかというと自分に対し少し自信を持って言うことが出来ている様に見受けられる。

 


『間違っちゃいない』というフレーズは奇しくも濵田崇裕からの言葉だとも言えるので、なんともいえないが、少なくともしげちゃんにとってこの一連の流れは本当に苦しくて、それでも必死でもがいたからこそこうして人の心を動かせる曲を書けたのだろうなとも思う。

 

パンフレットの自身のページに、「重岡大毅重岡大毅やし」というメッセージがある。いつだって彼は等身大で混じり気のない思いをこちら側に届けてくれて、それでいてその自分の作品について臆することなく自信を持っていい曲が作れました!と紹介してくれる。アイドルファン冥利に尽きる。

 

今度の証拠〈初回B〉についてもすごく自信を持って良いものが作れた!みて!と言ってくれるのがすごくわたしは嬉しい。

 

bayじゃないかで濵田崇裕氏がギターで弾き語りをしてくれたことについてももう感想というかありがとうございましたとしかいえないのだが、重岡大毅は自身の連載でぶわぁーしてくれた。「濵田のめっちゃ濵田やーー!」とはなんぞ?となったけど、しげちゃんが嬉しそうなそんな気がするので私はそれでいい。満足だ。

 


そして続いて『to you』について。

 

日本語には『大丈夫』という言葉がある。
この言葉は、力があることば。良くも悪くも。

 

中国で成人男性のことを『丈夫』といい、特に立派な男性に対しては『大丈夫』といっていたところから派生し、現在では間違いない、確かであるという意味でも用いられている。

 

応援歌には付き物の言葉である。

現にジャニーズWESTの楽曲の中にも「青空願ってまた明日」という曲で、サビに繰り返し『大丈夫、大丈夫』という歌詞が出てくる。

 


しかし、この重岡大毅作詞作曲のtoyouでは『大丈夫』という歌詞は一つも出てこない。

 

そのかわりにあるのは、

 

『何だっていいじゃん love you やっちゃいな』

 

大丈夫ではなくて、やっちゃえばいい。
大丈夫かどうかなんて分からないから、やってしまえばいい。


それは彼ら特殊な世界で生きる者にとって一番心に効く魔法のフレーズである。

 

第一章にて書いたように、重岡大毅は割とというかかなりジャニーさんに愛されてきた子では?と推測されるため、この言葉に対して思うこともたくさんあるだろう。手元の資料からto youについて考察していきたい。

 

2020年6月号wink upにて、
Q. 自分の中のヒーロー伝説は
という問いで「エレベーターに乗っても外にいる俺らに向かってずっと話しかけてくるからいつも閉まりかけたドアにはさまれんねん(笑)」とジャニーさんの愛されエピソードが語られている。ジャニーさんに愛されてきたからこそ、そして広義の意味で愛していたからこその空気感がこの曲には溢れているような気がする。

 

歌詞を考えるにあたっては、結構難儀していたような印象を以前レコメンに出演した際のコメントで感じた。銭湯に歌詞を考えるために行くが思いつかずにちょっと泣いて帰るなんて。彼の発言をこうして注視するようになって日は浅いがなんとなく感じているのが、自分の心理描写がとても詩的であることだ。歌詞を書く以前に普段のコメントとかでもかなり詩的な比喩的な(というよりは彼の中では小ボケ感覚なのだろうけど)表現を多く用いているように思う。

思うように歌詞が出てこなくて、でもいい曲を作らなくてはいけない責任感と当時並行していたドラマの撮影とで彼自体が本当に物理的に涙を流していたのかもしれないがというよりかは心理的に泣いていたのではないかなと考察した。

 

現にドラマ撮影中に楽曲制作することについて「自分の状況や感情を常に再確認せなあかんから、頭も結構使うんよ」(wink up2020年5月号)という記載がある。


「別れ」という明確なテーマを決め、それでいて暗くなりすぎない明るいテンポとサウンドで飾ったこの曲は生田真心氏が編曲されている。

 

彼はすごい人である。なんせAKBの「フライングゲット」AAAの「恋音と雨空」ジャニーズWESTにも「エエやんけェ!!」を提供した方なのだ。Sexy Zoneの編曲も多くされていて、サラッと曲名を挙げるだけでも「Young&Beautiful!」「CANDY〜Can U be my BABY〜」「私のオキテ」等々。まあめちゃくちゃいい曲を数々手がけている凄腕編曲家である。

 

重岡大毅の熱き想い100%の歌詞に生田真心氏の明るく、それでいてエモーショナルな編曲が組み合わされ『to you』はこの世に放たれた。

 

W troubleのパンフ内でも『to you』に関して自分のページの7割くらいを割いて解説してくれている。できることなら彼の言葉をそのまま全て引用したいところだが、それは権利的にできかねるので、思うことを二、三点あげていきたい。

 

まずは、この曲に込められた想い。先ほど私は「別れ」という明確なテーマがあるという風に記述したが、彼のテキストにはこんな言葉がある。

 

「”死”という究極の別れも含めて、永遠とかはないんやでって」

 

私はこの言葉を見てハッとした。


こんなにも明るい曲に見えるのにその中には死や永遠という難題が問われているのだ。

永遠についてはレコメンで「永遠とか一生とかないけど、ないってことは永遠に会えないこともないんかなぁ、と思って」と語られている。

 

 

存在の否定というのはとても難しい哲学的な問いである。
【ないこと】を認めるためにはまず【あること】を認めなければならない。この作業を究極的に繰り返した哲学者の一人にルネ・デカルトがいる。ジャニーズWESTのメンバーの中でも哲学書とかを読むタイプではなさそうな彼(完全に偏見)だが読んでいたとしても読んでいないにしても彼の中にはこうした存在や一生を問う心が強くあることが知れて私はすごく嬉しい。

 

次にこの曲の変化について。自分の曲だからこそ大事にしておきたい気持ちや言葉を【みんなの曲】へ昇華させているのがわかる。前述したジャニーさんと彼、重岡大毅の関係をそのままそっくり現実のどこにでもある人間関係に落とし込んでくれている。

『YOU やっちゃいなよ』というワードの魔法を私たちに音楽として伝えてくれてもいる。

 

「逆境の中にあるときにこのワードを思い浮かべると、一歩とはいかんでも半歩、半歩の半分だけでも前に進めそうな気がする」


この「半歩の半分でも」という言葉も私はすごく好きなのだが、この頃から”はんぶんこ”という言葉について、ないしは曲についての構想があったのだろうと予測できる。

 

 

また濵田崇裕が「これは彼の曲であり、僕らの歌で、そして聴いてくれた人の歌に変わっていく。」と自身のインタビューページで語っている。

 

楽曲を作ることはその曲に対して責任を持つこととも言えるだろう。文字や音だけでは想いは正確に届かない。だけど、その変化を厭わない姿勢を読み取ることができる。

 

レコーディング映像のように笑いながら、歌う彼を早く生で感じたいしそれ以上に彼を早くライブのステージの上へ立たせたい。もっと言ったら東京ドームのステージの0番に立つ彼をこの目に焼き付けたい。待ってる、待ち続けたい景色だ。

 


三曲について考察を重ねてきたが今後も彼にはガンガン曲を書いていってもらいたいし自身で歌っていってもらいたいしさらには他のジャニーズグループへの楽曲提供もしてみてはいかがかと思う。(個人的には中島健人のいるセクシーなグループに歌ってみてもらいたい)

 

なんでも新しいことでも、奇天烈なことでも自主的に働く重岡大毅を私はみたい。

 


だってもう彼は彼自身で、魔法の言葉を使えるようになったのだから。

 


 


さて。四章に渡って書いてきましたが、ここまで読んでくれている人はいるのでしょうか。いたら本当に嬉しいです。トラビスの川島如恵留君もこんな風に思うことがいっぱいあるからこそあんなに長いブログが書けるのだろうなと思っています。

 

重岡くんはあまり自身の気持ちを言葉で伝えることに長けていません。先日のJohnny's world Happy LIVE with YOUでも最後のあいさつは言葉というより魂で話していたように思いました。

 

 

2018年の一万字インタビューには「ジャニーズWESTの熱い部分、ド真ん中の魂みたいなんは俺だろって思ってるんです。」とある。そう魂。


私がこの記事のタイトルにしたのは『ワンドのキング』です。

 

ワンドのキングとはタロットカードの中の一枚で小アルカナというものに属しています。キーワードは【クリエイティブ/鼓舞する/力強さ/カリスマ的/大胆さ】私はこのカードの性質が今の彼にピッタリであると思いました。このカードの説明にはこうあります。

 

「大胆で劇的で興奮をかきたてることの出来る彼のような性質を持った現実の男性、もしくは女性を象徴している場合もあります」(ラーニング・ザ・タロットより)

 

揺るぎない勇気と自分自身への信頼を常にもつワンドのキングのような彼にこれからもついていきたい。アイドルでありながら、その理想を追い求めながらその先にある理想の自分を見つけていく。そんな彼自身の人生の物語を私も同じスピードで読み進めていきたい。そんな風に思います。

 

 

そして、ついに最新シングル『証拠』が発売となります。

 

WESTANNPでも濵ちゃんが語っていましたが、ジャニーズWESTは『応援』という武器を手に入れました。それは相手にだけでなく時には芸能界で生き抜く彼ら自身をも鼓舞するようなそんな広い意味での応援だと認識しています。

 

応援されて、応援するような持ちつ持たれつな関係を私も大好きな7人と築いていけるように。

 

 

「完璧じゃ疲れちゃうよ らしくいこうぜ Long&Winding Road!!」